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エド・ウッド 史上最低の映画監督


今年の映画界は、どうもパッとしない作品が多かった気がします。

批評家の間では、アニメ映画の『ウォーリー』やアメコミ映画の『ダークナイト』が候補になる異例の事態が起こるかもとささやかれているそうです。

今年は、名匠たちの映画も不発でした

オスカー狙いの、リドリー・スコット監督作『ワールド・オブ・ライズ』は興行収入面でも、批評的にも惨敗。
ウッディ・アレンの新作もあまりウケませんでした。

でも、彼らは腐っても巨匠。

コケてもまだまだチャンスはあります。

その一方でハリウッドでは、幾人ものB監督が流れ星のように現れては、あっという間に消えてゆきました。

そのなかでも、作品はダメダメなのに、コアな映画ファンにとってはカルト的人気を未だに誇っている監督がいます。

「史上最低の映画監督」エド・ウッドです。

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エドワード・D・ウッド・ジュニア、通称エド・ウッドは1924年ペンシルバニア州生まれ。エド・ウッドは女装癖があること以外は、ボーイスカウトをし、ラジオやテレビにあこがれ、コミックをよく読むというごく普通の少年でした。

しかし、映画に対する憧れは当時から強かったらしく、11歳のときに既に短編映画を作っています。

17歳で海兵隊に入団、22歳で除隊になるまでに、伍長まで昇格し、勲章も受けると、除隊。
その後、演劇に興味を持った彼は巡回ショーの一員になり、仕事でカリフォルニアに出ます。
そして、1948年に、自身の脚本・演出・制作・主演による、『The Casual Company』を発表(勿論大失敗)。これが彼の芸能活動第一弾となりました。

その後、エド・ウッドはハリウッドで仕事を探す日々を送りますが、当時落ち目となっていたベラ・ルゴシ(ドラキュラ俳優として有名だった俳優。その後、1956年に死去するまでエド・ウッドの作品に出続ける)と知り合い、彼のネームバリューを前面に押し出すことで制作費を捻出、ついに自らの監督・脚本・主演による『グレンとグレンダ』(1953)で念願の監督デビューを果たします。

しかし、現実は残酷でした。彼には、映画を作る才能がまったくなかったんです。

出鱈目なプロット、意味不明の台詞、シュールを超えてひたすらバカバカしい設定、役者達の超ダイコン演技、チープな衣装とセット、そして偏執狂的なこだわり。

加えて、自ら主演を務めたエド・ウッドの超ダイコン演技と女装趣味の主人公の幻想世界は見るものを悩ませました。
ひょっとしたら本人も何をやっていたのかわからなかったのかもしれません。

その後、こりないエド・ウッドは、近所の肉屋のオヤジをだまくらかして制作費を捻出した『原子の花嫁』というこれまた最低な映画を発表しますが、またしても大コケ。ちなみ、主演俳優は、出資の代償として押し付けられた肉屋のバカ息子、トニー・マッコイで、自らも桁外れのダイコンだったエド・ウッドをして、「これほど下手な俳優は見たことはない」と言わしめるほどのダイコンでした。
しかし、映画そのものがあまりにもダメなのでマッコイの演技の酷さはさほど気になりません。
ストーリーはベラ・ルゴシ演じるマッド・サイエンティストがタコを巨大化させて通行人を襲うが、最後にはその巨大タコに自分がやられてしまうという、B級C級どころかZ級のノリで、勿論、世間には全く相手にされませんでした。

しかし、エド・ウッドはまだ懲りていませんでした。

今度は、バプティスト教会の出資をとりつけて、宇宙人が自分の存在を地球人に知らせるために地球の死者をゾンビとして蘇らせるという意味不明な『プラン9・フロム・アウタースペース』を発表。

エド・ウッドは「私の誇り」と、本作品に自信満々でしたが、あまりのヒドさに買い手がつかず、一度添え物として上映されただけでした。
そんな本作は、ベラ・ルゴシの遺作で、ルゴシの生前に撮ったシーン(撮影前に既に彼は死んでいた)を無理やり物語に挿入してあるため(成功にはルゴシのネーム・バリューが必要だと思ったのだでしょう)、彼が出てくるシーンは不自然極まりないものになっています。
しかも、彼の登場シーンには同じフィルムが使われているので、ルゴシが登場すると必ず後ろに白い車が通るという始末(トホホ)。
撮り置きのフィルムの足りない場面には、全く似ていないそっくりさんが出てくるのですが、あまりにも似ていないので、登場シーンでは必ず不自然に顔をマントで隠すというオマケがついています。

 さて、その後のエド・ウッドですが、自信作の『プラン9〜』が全く相手にされなかったことには、さすがに気を落としたようで、すっかり創作意欲を失ってしまいます。
枯れても名優だったルゴシもおらず、その後はそれまで以上にダメダメな映画をポツリポツリと発表した程度で、そのもっぱら内容は、日銭を稼ぐためのバイク映画やポルノでした。
その時代の代表作(?)が、突然素っ裸の死霊が出てきて踊りだすという『死霊の盆踊り』です(ちなみに脚本のみで監督作ではありません)。

1978年、世間からまったく相手にされないまま、エド・ウッドはアルコール中毒による心臓発作でこの世を去ります。54歳の若さでした。結局、ほとんど無一文だったそうです。

しかし、運命とは皮肉なもので、『プラン9・フロム・アウタースペース』がその後に、深夜のテレビで放送されて、そのあまりの酷さが話題にになります。
それがきっかけで、1980年にただ一度だけ行われた、ゴールデン・ターキー・アワードで、「史上最低の映画」に選ばれ、再評価の気運が上昇、カルト的人気を呼ぶようになります。
1992年には伝記が出版され、1995年には、ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演で映画化。ベラ・ルゴシを演じたマーティン・ランドーがアカデミー賞の最優秀助演男優賞を受賞しています。

また、そのあまりの意味不明さゆえにシュールにさえ見える映像表現は、一部の映画監督の間で人気を呼び、『ブルーベルヴェット』や『エレファント・マン』でおなじみのデヴィッド・リンチは『グレンとグレンダ』をお気に入りの作品としてあげているそうです(そういえばなんとなく作風が似ているような・・)ほか、『バットマン』や『シザーハンズ』でおなじみのティム・バートンは「私はエド・ウッドだ」(!)と言い、伝記映画まで撮ってしまいました。

日本では、映画評論家の江戸木純(彼のペンネームはエドワード・ウッドjrのモジリ)によって「アナタがみたどんなツマラナイ映画よりもクダラナイ映画がある」という思いっきり開き直った宣伝文句で紹介されました。
そんな彼の作品、いまでは、『エド・ウッド・コレクション』と題する、『原子の花嫁』、『グレンとグレンダ』、『プラン9〜』の3本セットのDVDで楽しむことが出来ます。突っ込みを入れながら、大人数で楽しむようにと推奨されているので、そうするといいと思います。
エキセントリックなのに憎めない、魅力的な彼の人柄を知ることのできる、『エド・ウッド』と併せてみるとより楽めます。
才能はゼロなのに、映画に対する情熱ゆえに憎めない彼の作品に、可愛げを感じること請け合いです。

彼よりも、酷い映画をとって監督はいくらでもいたでしょう。でも、だれも彼のように愛されなかった。なぜならば、エド・ウッドの映画を見たものは、その純真さに心打たれてしまうから。
エド・ウッドの伝記。ティム・バートン監督の『エド・ウッド』の原作。
『プラン・ナイン・フロム・アウタースペース』『原子の花嫁』『グレンとグレンダ』の3本セット


theme : 映画監督
genre : 映画

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神谷正倫

Author:神谷正倫
大学院生、兼、物書き、兼、アマチュア俳優、演出家です。
もっぱら、文学、芸術、音楽、雑学系のことを書いていますが、主宰劇団の「劇団 木曜洋画劇場」の宣伝の場も兼ねています。

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